ひざくりげ その53 コモド島とこの1年を振り返って


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南海嬉嬉内島伝その12 コモド島沖の船中にて

今僕は、コモド島沖の船の上、満天の星の下このレポートを書いている。バリ島から東へと連なるヌサトゥンガラ諸島にあるフローレス島の港町・ラブアンバジョ。ここから、かの有名な巨大オオトカゲ「コモド・ドラゴン」が生息しているコモド島までは目と鼻の先だ。インドネシア滞在最後の旅と決めてフローレス島まで来たのだから、コモド・ドラゴンを見ずして帰るわけにはいかない。そう思って参加したコモド島周遊一泊二日のツアー。蓋を開ければ、沖縄在住でハブを研究しているロシア人、ハンガリー人カップル、イスラエル人カップル、ノルウェー在住のドイツ人、ヒスパニックのカリフォルニア人他多数と小船でツアーを共にすることになった。西洋人特有のイェーイって感じの社交性に、日本人特有のシャイさをもつ僕(と言い切っていいのか、自分の問題か?)は全くついていけない。しかも、ツアーを予約しに行った時には知らされていなかったコモド島沖での船中泊。ツアーの興奮とビールの力で、さらに陽気になっている他の乗船客に完全に置いてけぼりを食ってしまい、冒頭で記したように星を見ながらひとり、レポートを書くことにした。23467292_882702658553754_2872487123151074326_o 23415166_882702815220405_1731249763751995921_o

インドネシアの中で、今もっとも観光化の期待が高いと言われるフローレス島。「今のうちに行っておかないと、バリ島のような観光地になってしまうよ」と多くの友人から勧められた。東西に延びた島は、どこまでも峻険な山が続く。南の島特有の熱帯ジャングルを想像していると大違い。乾燥して埃っぽく、山間では長袖を着ていないと寒い。どことなく日本に似た雰囲気をもっている。のべ15時間乗車した内陸のバス移動はそのほとんどが峠越えで、ガードレールもない崖道を猛スピードの車が行き交う。南の島にちょっと遊びに来た、という気分でくると返り討ちにあう。

バリ島から東の島々では伝統的にイカット=絣が有名で、このフローレス島でも点在する部族がそれぞれ独自のモチーフを持っている。ジャカルタの新聞社で働く友人から聞いた話によると、フローレス島中部の村には、いまでも天然染料と手紡ぎ綿でイカットを作っているおばちゃんがいるという。今回の旅はその人に会いに行くのが主な目的だった。

23316443_882702351887118_3602780794075848086_nフローレス中部のエンデ空港から車で2時間かけて、イカットおばちゃんの住むケリムトゥ山麓の村に行く。村までの道すがら棚田が幾重にも連なっている。大きな岩がゴロゴロと転がる峠道は、今でも落石事故が多い。道路の舗装工事が盛んに行われていて、なるほど観光化が進んでいるというのはこういうかと思う。村人に聞いて訪ねたトタン屋根の粗末な家から、140cmくらいの小柄なおばちゃんが出てくる。彼女がイカットおばちゃんである。まるっとしていてチリチリの癖っ毛は、バリによくいるマレー系民族とは明らかに違う、パプアやオーストラリアあたりに雰囲気だ。ジャカルタの友人を介して事前に連絡していたので、気さくにイカットについて教えてくれる。

まず驚いたのは、現在フローレス島で、天然染料と手紡ぎ綿を使ってイカットを織っている人はこのおばちゃんただ一人とのこと。部族ごとのモチーフは今でも継承されているが、染料や糸は工場で作られたものがほとんどだそうだ。機織り自体も、機械を使わず地べたに座り、柱に引っ掛けた縄を腰の後ろに回してテンションをかけ、縦糸と横糸を織っていく古典的な方法だ。染料は藍、ウコン(驚くほど鮮やか!)木の根、土など庭で採れるものを使う。後日フローレス島内の別の村のおじいちゃん(自称80歳)に聞いたところ、綿花に関しては、戦中に日本軍が大量栽培を始めたそうで、「あんたら日本人のおかげで、わしらはイカットが作れるんじゃわ~」とのこと。悲しい記憶の多い戦争の話の中で、そのようなことを聞けて少しホッしたりもする。

「Iさん(ジャカルタの友人)に言われたからね、あんたにはうちにある最高の布を見せてあげる」イカットおばちゃんはそういって、代々この家に伝わる布たちを次から次へと出してきた。この村のイカットは2枚の反物を縫い合わせて筒状にした腰巻になっていて、ざっと見積もっても50枚以上は見せてもらった。最も古いものは彼女のおばあちゃんが作ったもので、約100年前に製作されたそうだ。天然染料でここまで鮮やかな色が出るのか!人の手によって紡がれた糸はこんなにも柔らかいものか!驚きの連続だった。イカット製作は長いもので2年かかるという。その製作過程の過酷さは容易に想像できた。これはすでにファッションという括りにはおさまらない、彼女たちのウレシイやカナシイやツライやイヤダイヤダの全てが染め込まれ、織り込まれた、人の生きた証そのものだった。23331447_882702411887112_5110724250236941621_o 23275363_882702468553773_3497964893531845076_o

それらを見ていたら、なぜだかとても悲しくなった。いや、嬉しかったのか。そのどちらとも判別できない感情が湧いてきて、ただ泣きたくなった。これは本当にここにしかないものだ。このイカットたちは、ここにしかない!と叫びたい、ものすごいリアリティだった。そうなんだ、僕はこの1年は、このリアリティを探して、土地に生まれる芸術=芸能の必然性と必要性を考えたくてインドネシアに来たのだった。イカットおばちゃんとその先祖たちが作った布は、とてつもない存在感を放って、過去から現在を貫いていた。ただひとつのことに真摯に向き合って作られたものと、そのために積み上げられた時間の跡を、僕は今一番渇望していたのだった。

そして改めて、ワヤン(古典影絵)を学びにきたことを考えた。

幸運にも身に余る賞をいただき、ずっと挑戦したかったバリ島のワヤンを学ぶ機会を得た。難解な言語習得、物語を語ること、歌うこと、人形を使い音楽を指揮し、登場人物たちを自ら作る、そういったワヤンの具体的な技術習得を通じて、影絵とはなんなのか、芸能とは一体なんなのかを考えたかった。

23270205_882702538553766_8187483271256225554_o-1師匠のナルタさんは、小柄でものしずかなおじいちゃんだ。しかし、ワヤンを語る時の彼は村に生えるガジュマルの大樹のように大きく見えた。島のあらゆる命と寄り添いながら生きてきた彼は、まさにこの島の賢者である。彼の知識は、大樹が他の木々と絡み合いながら根をはるように、ありとあらゆる島の物語とつながっている。何も知らない僕は、その大樹が広げる大きな枝葉の木陰で、熱帯の陽炎を眺めるように、深遠なるワヤンの世界の一端を見ていた。ある時、ナルタさんにワヤンとはどういう意味ですか?と聞いてみたことがあった。それまで、あまりにも当然すぎて考えもしていなかった問いだった。師の答えは「ワヤンは現実と非現実の【間】だよ」だった。影絵でも人形でもなく【間】という答えに驚いた。それを聞いて一つの仮説が浮かんできた。ワヤンとは、人形(現実)と影(非現実)の【間】で、知覚し得ないものと交信する装置なのではないか?光がある瞬間から影はある。ということは僕たち生命が誕生するはるか昔、宇宙ができたその時から影はあるのだ。だとすると影を扱うということは、僕たち生命の認識を超えた何かにアプローチすることなのではないか?ナルタさんはまた「影絵を見ているのは、人間だけではない。この土地の神様やわしらのご先祖様も見に来ている。だから失礼があってはいけない」という。現実と非現実の【間】は、目に見える僕たちと目に見えない土地の神や先祖をつなぐ役割を果たす。僕たちは自分たちの土地や先祖を想うとき、普段は眠っている自分たちの過去と対峙することになる。僕たちの過去は、今を生きる僕たちに問いかける。「お前は精いっぱい生きているかい?」

イカットおばちゃんの布たちと、ナルタさんの語るワヤン・クリットと、この南の島々に息づく多くの芸能は、僕に自分のあるべき姿をそっと教えてくれる。僕は10代の終わりからインドンネシアに関わり、20年近く経つ。日本と南の島々との文化の【間】で、ふらふらとバランスをとりながら今まで生きてきた。片方の文化からもう一方の文化は想像の世界=非現実とも言える。言い換えれば、僕は現実(日本)と非現実(南の島)の【間】にずっと身を置いていた。僕がワヤン・クリットに惹かれていったのは、そのような【間】を感じていたからなのかもしれない。

この1年でわかったことよりもわからないこと、知りたいことが何倍にも増えた。一つの謎が解けると、また新しい謎が待っている。多くの疑問を持つということは、それだけ新しく何かを作れるということだ。こんなに幸せなことはない。それがわかっただけでも、実り多き1年だった。

他の乗船客はみな寝てしまった。明日は海から上がる朝日を見に行くらしい。僕もそろそろ眠ろうと思う。おやすみなさい。

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あとがき

1年という、長いようで短いインドネシア滞在をまもなく終えて帰国します。30代で、これといった制約もなく海外で勉強していい、という夢のような出来事がまさか自分に訪れるとは思ってもみませんでした。これは大いなる思し召し!と、今後も大切にしたいと思っています。帰国後も、日本を中心にいろんな場所で発表を続けさせていただければと思っています。謎の影絵をやっている奴がいるらしいぞ?という噂など聞きましたら、それは僕の可能性が高いので、是非ともお越しいただければ幸いです。その際は大きなクエスチョンマークをお返しできればと思います。

インドネシア滞在の連載を依頼をしてくださり、バリ島にも会いに来てくれた昌福寺の岩間さんご夫妻、大変お世話になりました。今回のエッセイは自分にとって大切なものになりました。そして、まるで日本と接点のないマニアックな内容と拙い文章におつきあいしてくださった読者のみなさま、ありがとうございました。最後に僕のわがままな人生に付き合ってくれている妻と、かけがえのない娘にも最高の感謝を。

2017年 10/28 川村亘平斎

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